みなさん、こんにちは。
川田です。
昨年から熊谷の実家から片道約1時間の
通勤をしているのですが、
掛け流ししているラジオから、
藤原新也氏の新刊「メメント・ヴィータ」
の話題があがり、久しぶりに藤原新也氏
にお名前を聞き、即効で書店に連絡して、
お取り寄せいたしました。

約440ページの新書でしたが、二晩で
読み終えてしまいました。
深夜の静寂な時間に読みふける。
睡眠障害持ちには、深夜の素敵な時間
を過ごせていただけました。
新刊ですので内容については触れませんが、
メメントモリ発売から40年が経ち、
人も熟成され、芳醇に味わいに深みが
生まれるんだなと体感でなく実感として素直
感じて受け入ることが出来ました。
1995年夏。
私は、僅かな現金とバックパック1つで旅に
でました。
バックパッカーって言葉が嫌いで、
沢木耕太郎氏の「深夜特急」が当時の旅人
のバイブルでしたが、
青春の衝動による旅行記的イメージが
どうしても私は受け入れられなくて、
私が手に取り、何度も何度も左ページの
下角が擦り切れるほどに読み繰り返したのが
藤原新也氏の「メメント・モリ」でした。
「メメント・モリとは、死を思え。」
死に近いところに身を置くことによって、
死というものがすぐそこにいる世界として
感じられる。

「ニンゲンが燃えて出すひかりは
せいぜい60ワット三時間。」
バラナシのガートで荼毘にふされている
炎の明かりが60ワット三時間って。。
死んだらニンゲンなんて、自然界では
たったそれだけのことと、尊厳や威厳もなく
たった60ワットの明かりになるだけ、
25歳の私は後頭部をブったたかれた様な
衝撃を受けたこと、今も鮮明に記憶してます。
どうしても、本当に60ワット3時間なのかを
この目で確かめたくて、インドへの旅の支度
はじめました。
当時はSNSなんてない時代で、情報なんて
現地に行ってみないと分からない。
楽園なのか、終焉なのか。
自分の選択、決断、行動が生死の結果
を決めるギャンブルのようで、
選択を間違えれば「終」という結果になるか
もしれない。
「善因善果」を信仰し、五感をフルに起動
させ、経験と直感を秤にかけて、
知らずに死ねるか!と停滞することなく
先へ、前へと進んだ夏から30年が経ちました。
本当に長い時間が経過した気がします。
懐かしく思いセンチメンタルに陥ることも
なければ、今を生き抜いていることへの
賛美も賞賛もなく、
老いていく自分との折り合いを模索しなが
ら、深く考えることなく淡々と粛々と毎日を
ゆったりと泳ぎ続けることが、今の目標。
そんなことを考えさせてくれた、私にとって
は30年ぶりの藤原新也氏の新刊でした。
忙しく過ごしている毎日では勝手に入り
込んでくる情報や映像が良くも悪くも指針
になってきてしまう現代ですが、
一枚一枚ページを捲りながら、小さな活字
をひろい上げていくような本読みの時間の
大切さを改めて実感。
残された時間を丁寧に過ごしたい。。
今の老害者のささやかな希望です。
では、また。
バラナシのガンジス川のガートが見える、
竹で組まれた簡素な足場、建築中の建物
の屋上に忍び込んで、ガートで燃される
ご遺体を数日間やることもなくボッーと
タバコをくぐらせながら見づけていました。
キャンプファイヤーの様に積み上げられた
木材の上にご遺体が無造作に置かれ、
最初は激しく燃えあがり、10分もすると
火の勢いは落ち着いて、
ニンゲン燃えて出すひかりは、
確かに、
60ワット三時間でした。